認知症はいつから始まっていたのか

50代、日々のつぶやき

実家の母の話です。

母は数年前から施設に入っており、もう誰のことも覚えていないようです。
何も話さず、視線も合わせず、ただ静かにじっとしています。
明るくおおらかな性格だった母。
私が一人で上京する時も「いつでも帰ってきていいからね」と温かく送り出してくれた母が、
今ではすっかり別人のようです。

私もそろそろ子どもが独り立ちする年齢になりました。
もともと抜けているところがある私。
母が認知症、父も晩年に少しその症状があったこともあり、
「私もそうなるのかな…」という不安が、ふと頭をよぎります。

いつ頃から母の様子に変化があったのか。
自分の今後の生活を考える上でも、一度きちんと振り返ってみようと思いました。


最初の違和感は「漢字」

もともとおっちょこちょいな母でした。
「シャンプー買ってきて」と頼むと、なぜかリンスを買ってくる。
もう一度頼むと、またシャンプー。
そんな人だったので、認知症の症状が出ていても「いつものこと」と思って流していたかもしれません。

でも、ある電話の会話で、はっきりとした違和感を覚えました。
「最近ね、漢字が書けなくて…」と母。
「まぁ、今はパソコンやスマホばっかりだもん。書かないから忘れちゃうよ」と私が言うと、
「いや、そうじゃなくてね。書き方がわからないの」と。

読めるけど書けない、ではなく、“どう書けばいいのかわからない”。
それを聞いたとき、「あれ?」と思いました。
あれはもう10年ほど前のことです。


あの頃の母を振り返ると

この時期から、母の言動を少し注意して見るようになりました。

  • 漢字が書けない
  • 帰省日を伝えてもすぐ忘れる
  • 笑顔で迎えてくれるけど、料理はかなり手抜きに
  • 孫と出かけるのを避け、家で休むことが増えた

そんな変化が少しずつ積み重なっていきました。


炊飯器が使えなくなった頃

6~7年前になると、母は炊飯器の使い方がわからなくなりました。
料理はしなくなり、洗い物専門に。
それでも父が一緒なら、近所の人と普通に会話できていたようです。

でもある日、帰省中だった私と一緒に、母が良く行くパン屋さんに行きました。
ところが母は入り口で固まってしまい、動こうとしません。
トングでパンを取って、トレーに乗せてレジに行く――
そんな当たり前の流れが、突然できなくなってしまったようです。
「ごめんね、ちょっと私、わからなくなっちゃって」
「大丈夫だよ、私が持つから。お母さん、好きなの選んで」と言いながら、(ああ、やっぱり認知症なんだな)と実感したできごとでした。


5年前、生活の歯車が少しずつ狂い始める

この頃になると、父から「ふらっといなくなる」「同じ物を何度も買う」などの話を聞くようになりました。
家にいるはずの母がふらふらと近所を徘徊していたり、洗剤の袋を何十枚もため込んだり。
また、古い写真を細かく切って捨てておきながら、
「誰かが私の写真を破いた」と怒ったり…。

ある時、帰省すると、父は温かく迎えてくれましたが、母はこちらを見ようともせず無反応、無表情でただ座っていました。
でも、翌朝になると、笑顔で「遊びに来てくれてありがとうね」と言って、一緒に外出することもできました。
ただ、服装がちぐはぐで、外出前に私が着るものを用意する必要がありましたが。


そして施設へ

4年前、夜中に外に出たり、物を隠したりするようになり、排泄もおぼつかなくなりました。
そこでついにグループ施設に入ることになりました。

そこからは、時間が経つのがあっという間でした。
姿勢が保てず、車いすに。
声も出さず、表情もなく、視線も合わなくなってしまいました。
誰が来ても、いつ行っても無反応でただ座っているだけになってしまいました。


こうして振り返ると

母の変化は、最初は本当に少しずつでした。
「忘れっぽくなった」「料理をしなくなった」「言葉が減った」「気力が薄れてきた」――
一つひとつは小さなサイン。
でも、その積み重ねが“認知症の始まり”だったんだと思います。

母の姿を見ていると、「自分もいつか…」という不安がよぎります。
私も最近、作業中に話しかけられると元の作業を忘れてしまったり、
スケジュールを見返さないと予定を飛ばしてしまったり。
以前よりも“注意力”が落ちているのを感じます。

年齢のせいかもしれない。
でも、それを“年のせい”で片づけてしまうのは怖い。
体が元気でも、心や記憶が追いつかなくなると、
人生を楽しめなくなるし、家族に大きな負担をかけてしまいます。

老後はお金も健康も大切。
でも、いちばん大切なのは“心と脳の元気”。
自分のためにも、家族のためにも。
まだきっと間に合うはず。がんばろう!

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